ここには、私が日々なんとなく思うことを書きつづっています。



>> 先月の日記


12/20ぐふっ
しこうがぶつりじゃねぇー・・・。

12/19免許更新
免許の更新をした。免許の更新で一番気になるのは、あの写真。朝からちょっと気合を入れ髪型セットして、免許センターに突入。やはり、自分の壁は越えられず…(笑) 写真を写す係りの人に声をかけられた。曰く「男の本当の味がでてくるのは24,5から」とのこと。ふむ、確かにその年代になってくるといよいよ社会に出てくる人が増えてくる。それとともに社会人としての自覚が出てくるって事かな。
俺も24になって、ちょっと、変わった。というか、院生になってからかな。はやりの曲も聞かなくなったし、ルックスにもあまり気を使わなくなってしまった。読む本も雑多なものが増えてきたし、社会的な考え方も固定化されつつある。(←ここはまだまだフレキシブルに行きたい。) 社会人としての自覚もまぁまぁ出てきた。でも、人間的に味が出てきているとはまだまだ思えない。24,5才は一つの変遷期であることはそうだと思うけど、そこを人間的な味に変えるものって何かな?ってか、男の味って何だ?よくわからなくなってきたので、もう寝ます。今日はちょっとオツカレーションなんで。

12/18将棋
先日京都で買った羽生善治著の『決断力』を読む。13日にT氏から返ってきた本(大崎著の『将棋の子』)を見て、また将棋に関する本でも読んでみようかなと思って。私は小さい頃から将棋を好き好んでやっていたせいもあって、将棋の考えというものが今の自分にもそれなりに影響してきているような気がする。実際将棋の考えと現代の考えとが相通ずると思うところもあるし、現に今の自分の思考に取り入れているところもある。もちろん、これは将棋に限ったことでもないとは思うのだが、将棋は一つの考えの基盤になりうるものだと思う。
いきなり話題をかえるが、芸術と科学(と文学)にはいくつかの類似点を見いだすことができると思う。このことに関しては、いつぞに語ったと思うので、あまり語ろうとはおもわないが、寺田寅彦も同見解だったように思われる。一番顕著なのは、何かを表現するという意味で。それは例えば、音楽は、その表現を音に求め、美術は、その表現を絵画に求め、文学は、その表現を文に求め、物理学者は、(自然を記述するものとして)その表現を数式にもとめる。音楽や美術は、記述するものとしてより人の感情や個性というものに重きを置いているような気もするが、科学に関しても(客観性を重視するとはいえ)そこに人の個性というものがありありと出てくる。また表現の仕方にも、物理の拘束する条件はいくらか強いと思うが、音楽や美術に関してもそれなりの法則やルールがある。じゃ、芸術って何だ?もっとも端的に言うと、五感に直接訴えて表現するもの、表現をより自由な形で求めているものがいわゆる芸術だろうと思う。曖昧な点もあろうが、ここでは全く独立ではなさそうだという程度での理解。こう考えていくと、将棋は、その表現を棋譜に求めている気がする。
芸術や科学や文学は、それをやっている人を見ていると、その学問的思想がやっている人にバックグラウンドとしての影響力をもつように思われる。そう考えていくと、将棋の考えも思想の一つとして独立しうるものだと思う。将棋をやっていて思うこと、やっていて思ったこと。漠然としすぎて、どうも文として表現できないものもある。羽生さんの本を読んでいると、その曖昧な自分の中の(ア)イデアの本質の一端をかいま見ることができる気がする。あー、なんか今日は疲れたなぁ。こんなもんで終わろう。

12/17生物実験って?
少しゆっくりしすぎたかな。昨日の夜に京都を発って、実家埼玉に戻って、友達に会ったり、前のバイト先に戻ったり、家でゆっくりしたり・・・。シミュレーションを見直したりしたかったんだけどなぁ。
ジュンク堂でいろいろと本を見て回る。研究集会中に指摘された自分の研究についての知識を補うため。うん、まぁ、主に論文を読むことが大事だとは思っているんだけど。今回は実験の話でFLETとかETとか、今まで気にしてなかったようなどういう風にしてデータを取っているのかが気になってきたから。今まであまり見て回っていなかった生物実験の本とかを眺めていると、知らなかった面白いことがたくさん書いてあってわくわくした。自分が普段目にかけていなかった書棚が、急に自分の興味の対象になると楽しくなる。自分の視野が広がるような、知識欲がかき立てられるというか。よくうまく説明できないけど、きっとこういうのって誰にもあるんじゃないかな。研究者というよりは、純粋に学問を楽しむ者の側面って。私は日大の出で、そんなに既存の理論を学習するのは得意じゃないけど、こういうことに気づいたり楽しめたりできるってのはなんかありがたいことだなぁ。水戸にいては、なかなか本を見て回ったり、セミナーに出たりして視野を広める機会が少ないから、こういうときにいろいろと詮索しないとなぁ。

12/16研究会終了
今回の研究会はなかなか収穫があった。研究会を通じて、割と実験屋さんが多かった気がしたが、それがまたいい刺激になった気がする。今日の発表では、佐々先生のお話と柳田先生のお話が面白かった。佐々先生の研究は、harada-sasa論文以外にはほとんど知らなかったので、今回の発表を聞いてるうちに、佐々先生の取り組んでいることの全体像がはっきりしたような気がする。話を聞いていて、自分の研究に関する位置づけもわりかしはっきりしたような気もする。まだまだ実力差はあるが、研究のレベルでひけをとりたくないなぁ。切実に。こういう研究会のとかに来ると、自分の研究がまだ実態を持っていないことが恥ずかしくなる。修士の弱さも感じる。そう思いたくはないが。いつか対等に話し合えるようになりたい。柳田先生のお話は、これまで聞いてきた実験屋さんのお話の中でも、物理的な立場をしっかり理解している人だと思った。これまでやってきたことも多いに評価できることだし、すごい人だ。今回お話をする機会がとれなかったが、またいつかお会いしたときに、メモリー効果の実験の話や今興味を持っておられる現象とか聞いてみたいな。
昨日の夜に今回お知り合いになった、TK大のAさんとN大のIさんK大のFさんと自分の研究についてお話しさせていただいた。案の定、興味を示していただけたようで、ちょっとうれしかった。自分のやってることの結果が出てきていないのが、唯一にして最大の欠点ではあるのだが。実験に加担しておられる方もいらしたので、自分の中で曖昧であった点をはっきりさせることもできたし、その知識も補うことができた。実験のことは疎かったので、いや疎すぎたので、情けないなと思う。Aさんから「説明をもっとうまく」と評され少しへこむ。これも自分の研究の論理がうまく組み立てられていない証拠であろう。研究の途中段階であり、まだ論理が通せきれていないということもあろうが、現段階でやってることもまともに説明できないというのは誠もって反省すべきだ。説明のうまい人、説明の下手な人というのもあろうが、私は説明のうまい人ほど秩序立てて物事を理解していると思う。私はまだその域に達していない。明日から東京。

12/15わらわら
今日の研究会は、割と分子モーターの話に特化していて、メモリー効果というものが見当たらなかった。ちょっと予想外。でも、今までどういう流れで生物物理学が出来上がっていったのかということと、実験屋さんの恐ろしいなぁということを知ることができた。前者のお話は大沢先生のお話で、これまでの研究の簡単なダイジェスト、というより自分の中に残ったのは、今後の生物物理に関する提言のこと。構造と機能との連関、既存の生物学について(物理は絵で描けない)、具体的なものはゆらぎの階層性とかそのへん。これまでの生物物理の流れをくむには十分な内容だったし、大沢先生の考えている今後向かうべき道もある程度理解したつもり。後者のお話は、徳永先生のお話。熱揺らぎを押さえて準静的に近づけるとか水素結合を測るとか、思いついても一見実行できなそうなことやってのける実験屋さんってすごいなぁって思った。あと、個人的な目玉としていた関本先生のお話は、ちょっと難しすぎて理解できなかった。メイントピックスは2つ。アロステリック効果に関するモデルをfuelとloadの二つにわけ、ある特定の状態のみ相互作用させるというもの。もう一つは、揺らぎのエネルギー論に関して、熱浴の階層性を考えるというもの。何となくいいたいことはわかるのだが、深い理解に至らしめることはできなかったように思う。特に熱浴の階層性に関しては、どうもそれを考える必然性が理解できなかった。まだ自分が取り組むべき問題でないということか、自分の理解が浅いのか。いずれにしてもよくわからない。
今日の朝食。たまたま関本先生と居合わせて、食事をご一緒させていただいた。想像よりも関本先生はずっと親しみやすい方で、落ちついた雰囲気で和やかに談笑できた。あぁいう雰囲気、好きだなぁ。今まであってきた物理屋さんの中でも、少し特徴のある雰囲気で、いや、一般社会にはあぁいういい感じに落ち着いた人はいるのであろうが、物理屋さんの中では珍しいと思う。何にせよ、言葉を選ぶように少しずつ語っていく物腰、何か人を温和にさせる人柄、とても好感が持てた。想像では、もっと気難しい気がしたのだが、ずっといい人だ。
散歩。もう紅葉が終わりかけているもみじ。太陽の光を受けてキラキラ光る川。京都独特の建物。それの醸し出す古都情緒。なんかいいなぁ。旅行ってやっぱいい。

12/14in 京都
今日から京都。いつもは鈍行で向かっていたのだが、久しぶりに新幹線を使った。これでめっちゃ早く着くぞ〜とか思ったら、間違えてこだまに乗ってしまう。結局ゆっくりとした旅路。まぁ、こういうのは好きなんだけど。
電車の中とかバスの中とか、外の風景をただ漫然と眺めているのはすごく好きだ。実利的な観点に立つと、極めて非生産的な気もするけど、同じ風景は2度みることはないのだし、見ていてなんか楽しい。なんでかな?でも、楽しい。なんかちょっと想像力が豊かになるような、そんな感じ。ちょっと新幹線は早すぎる気もするけどね。
昨日思いついたモデルについて考えてみる。まだまだつめる余地はありそうで、やっぱあるんだろうなという感じ。ただ、数値計算でいろいろ遊んでみたい気がしてきたので、水戸に戻ったら本を調べたりプログラムをくんだりしてみよう。ただ、今はもうちょっと考え馳せてみる。明日からは研究集会。

12/13駒場
久しぶりに駒場に行く。考えてもみれば、駒場に来たのは大学院の入試以来かな?ずいぶんとご無沙汰していた気がする。あれ、いや、中川先生のセミナーで冬にもいったっけか?まぁ、それにしてもかれこれ一年ぶりぐらいかな、なんか懐かしい気がする。ちょっと院試のときを思い出した。
高塚研にお邪魔する。本来は先輩のKさんから預かった本をO氏に渡すという手はずだったが、事前連絡の上(改め、強引に巻き込んで)O氏とT氏とで夕食をともにいただく。ノーブルな会話に終始するかと思ったが、意外と雑多なおしゃべりが多くて楽しかった。フレッシュバーガーうまっ!
それにしても相変わらず東京はごみごみしている。田舎暮らしに慣れてきたせいか、人ごみの中を歩くのにちょっと抵抗を感じた。でも逆に、久しぶりに人ごみを歩いたから何か少し斬新だった。前々から思っていたことだが、日本ではレディーズファーストが徹底していない。別に、日本でレディーズファーストを徹底させるべきだとは思わないが、ちょっと歯がゆいときがある。今日の帰る途中に重い荷物を持った女性がいた。ちょうど私が階段を上っている横で、歩きにくそうなハイヒールで、重いバッグを持って一段ずつ上っていた。横にいた私は手助けしようと思ったが、それ以上になんか白々しい男だなと思われるのが嫌で結局手助けしなかった。私が初めて海外に行ったときは、レディーズファーストが徹底しているのに驚いた。海外にいるときには、郷にいりてはなんちゃらでそれを実践していたのだが、日本ではなかなかそれが実践しにくい雰囲気がある。日本のそういう自分を表に出さない穏健な雰囲気はすごく好きなのだが、こういうときに不便を感じる。もちろんこれは相手にもよるし時と場合によることだろう。もしこの相手が異性の特別な関係者であれば、おそらくたいていの人はそこに手を差し伸べるのだろうと思うし、人が全然いなくて自分以外に助ける人がいないとなれば手伝うだろうと思う。こういうことって何もレディーズファーストに限らず、電車で席を譲ったり、けんかを仲裁したり、困っている人を助けたり、そういう思いやりみたいなものにもつながる大事なことだと思う。そういうことができるようにならなきゃなとは思うんだけど、風土とか社会の風潮との不一致でしにくいときってなんか歯がゆいなぁ。私がまだまだ未熟だということもあるんだろうけどなぁ。

12/12レビュー
中川先生への相談事について簡単に2つ。一つは、田崎氏の集中講義をレビューとしてまとめるかどうかについて。一週間と見積もっていたが、「少なくとも一ヶ月」といわれたので、ちょいあせる。どうしようかなぁ。もう一つは、就職活動についてだが、自分の研究職に関する面識が甘く、それといった答えが得られなかった。この辺は自分が練り直さなければならないところだ。
就活の話のときに、志向するのは民間かアカデミックかという筋の話になった。このときに、「いずれにせよ、いい研究者になりたい」といったら、中川先生はニヤッと笑った。ゼミのときもそうであるが、たまに中川先生はあのニヤッとした表情を見せる。どういう意味合いがあの表情の中に含まれているのかよくわからないが、あの中には楽観的に「面白い」というよりは、何かもっと奥の何か見透かしたようなものがあるような気がする。気のせいかな。でも、あの表情は「あんたの言ってることは、思った以上に深い意味があるよ」みたいなちょっと緊張感のある笑みだ。怖い怖い。(笑)
田崎氏のレビューに関するお話。中川先生いわく、「いい研究が出来る前段階には、必ずこれまでの研究のレビューをしっかりと抑えなおしている」とのこと。これは、中川先生の研究にもとづく経験からもそうであるそうだし、中川先生の師匠、蔵本先生に関してもそうであるとの事。蔵本先生の一連の仕事も、プリゴジンの本を読んで、そのレビューを考え直しているうちに出来た仕事であるそうだ。レビューをしている際に、そのレビューを書いた人からのメッセージ的なものが伝わるらしい。伝わる人と伝わらない人がいるらしいが。何だか、実感の伴わない話になっているから、どうもダメだな。うまく書けない。

12/11テニス
久しぶりにテニスをやってくたばる。しばらくぶりということもあってか、驚くほどばてるのが早い。疲れているので、今日はこれにて。

12/10K氏に送ったメール
12/10は書いた日記が無かった(自宅で飲んですぐ寝た)ため、K氏に悪乗りして送ったメールを日記として更新します。
“おいめがね〜!
俺は情けなくって。最近愚痴なんざこぼしちゃいなかったんだが、こうも俺のドクトリンが揺らがされると、俺はもろいもんだ。
いつぞに慕っていた先生にセクハラされた女友達がいたが、俺はそんときに「そいつを廃せ」と言った。けどそれは甘かった。人間ってそんなに単純じゃない。
理系はえてして単純だ。言論するときにものごとを簡単化しすぎてしまう。物事の本質を見抜くにはそれもよかろうが、簡単化する際に落としてしまっている、大事なことに気づけないときがある。ときにそれは致命的だ。
くそー、覚えていやがれ。俺は島田研だー!
今日は高々ワインをコップ半分。それなのにこのざまとはどういうことだ。俺もずいぶん酒が弱くなってしまった。どういうことだ!このめがねがー!”

12/9集中講義2日目
昨日に引き続き集中講義。相対エントロピーを使って平衡系の熱力学を記述し、それをもとに非平衡系に応用してやろうというもの。枠組みはしっかりしていて、平衡系に関して言えば、完璧。ただ、それを非平衡にうつしたときに、何か新しい知見が得られるかといえばそうでもない印象を受けた。あれだけ平衡系での議論をきちんとやっているにも関わらず、非平衡系の記述が難しいというのは、それだけ扱っている問題が深く難しいという意味であろう。2日間通して講義の内容もまとまっていたし、いい勉強になった。
やはりこういった問題を扱うときは、現象有りきで始めていく方がより健康的であるような気がした。(←無論、極私的な意見である。)抽象論から問題にあたる人は、これまでに習ったり勉強してきた概念を拡張したり、または大胆な仮定を置いたりすることで、新たな発見を探り出そうとする。これに対し現象有りきで説明していく立場の人は、現象を洞察することで新たな発見を模索する。簡単に言うと、概念から模索するか現象から模索するかということなのかな。いずれにせよ、非線形非平衡なんてぶっ飛んだ問題を取り扱う場合、既成の概念がどこまで使えるのか分からないのだから、どこまでが使えてどこからが使えないのかを考え、現象に的をしぼる。そして、現象を見ているうちに新しい概念を生み出す。ちょうど2つの間を行くべきだとは思うが、現象で再現できること(再帰性)は必要なのだから、現象からあたる方が大きな間違えはしないだろうと思う。
今日のTAはやけに、ハイテンションだった。いろんな学生に絡んでは教え、研究の話し振ったり、雑な話をしたり、勉強を促したり、なんかおもしろかったなぁ。

12/8集中講義1日目
集中講義の内容自体は面白かった。
ただ、飲み会のときにT氏からお話しいただいたことは、まだ自分の中で消化しきれずにいる。

12/6,7しゅーかつ
昨日はついうっかり研究室で寝てしまった。今日もついうっかり研究室で寝そうになったが、なんとか帰宅。最近こういうパターンが多いような…。
一週間の早いうちから月曜日のゼミを意識するようになった。MandelbrotとNessのfbmの論文の精読は予想以上に手間がかかりそうで、計画的に読まなければ月曜のゼミに間に合わない。特に今週は比較的予定の入っている方で、研究室の掃除や田崎氏の集中講義がある。月曜までに何とかなるのかなぁ。
今日の朝方に論文の検索をしていると、たまたまNTTの研究所が目に付いた。それとなくHPを見ていたら、わりとそれっぽい研究内容が目に入って来る。それとなく採用情報など見ていると、仮申請みたいのに進み、その流れでリクナビに登録することになった。仮申請とはいえ、NTTの研究所でどんなことがやられているかわかっていないと書けないような内容で、HPで見てまわってどこの研究所でどんな研究がやられているのか、しっかり確認した。分野が偏っているとはいえ、NTTの研究所では多少ではあるが基礎研究がなされているようだ。まだもう少し調べないとよくわからんが。
今日は一日中研究室の掃除をしていたのだが、その合間に福井先生と話す機会があった。研究室と先生の部屋が近いこともあってか、福井先生はよく研究室にいらっしゃって、しゃべることがある。いつも割とラフな会話が多いのだが、今日はわりとしんみりとした感じの会話になった。来年以降どうするのか、今の日本の研究者に対する制度、今と昔の院生について、先生の苦労話、先生のご学友の話などなど。自分にもじかに関わってくる内容だけに、聞くほうの私にも適度な緊張感が保たれた。中川先生や福井先生、長谷川先生の話を聞いていると、安直に博士後期に進むのだけはしてはいけないと思っている。今、自分の選択肢として与えられているすべての選択肢について可能性を考え、また新たな選択肢の模索をし、総じて、どうゆう結論を出すのか考えなければならない。学生というぬるま湯につかって、それに入り浸っていたのでは、路頭に迷ってしまう可能性が今の日本社会では十分にありうる。日本の基礎研究に対するインフラはもっと整備されるべきだとは思うが、現状では今の自分にどうすることもできない。ただ、今の自分に大切なのは、社会を変えるというよりは、先を見越して今の自分がどうすべきか考えるだけだろう。それと、無論ではあるが、自分の決めた道に対して日々まい進することも。現状では、自分の選択肢から何を選べばよいかは決めかねている。ただ、各選択肢に対し、考えているだけではなく、精力的に行動するというのは必要だろう。もともと頭より先に体が動く方だから、そうするほうが性に合っているし、そうしているうちに自分の適性が分かるかもしれない。そういうわけで、就職活動も適度にして行こう。行くかどうかはさておき、何もせずドクターに進むのは怖い。

12/5発表断念…
振り返ってみて、結構ハードな数日間だった。忙しくても必ず日記だけは更新していたのだが、研究室に泊り込んだり、ほとんど寝てなくて家についてそのままベッドにということもあったせいか、書きたかったんだけど、更新できなかった。結構直前まで(直前は?)頑張ったつもりだが、今回発表は断念することにした。自分の中で曖昧と思えることがあるうちに、発表に踏み切るということはしたくないから。
どんな研究でも、またその過程のいかなるときにも、必ず曖昧な点,不確かな点というのは付きまとう。ただ、その中で問題視しているいくつかの点の一部だけについて、新たな知見を与える、これこそが俺等の仕事だろう。そのためには、どこを問題視し、どこをしないのかを自分の中ではっきりさせる必要がある。ここ数日間で、今自分のやってることの中で、自明と思ってたことがそうでなかったことに気づくことが多かった。まだ自分の研究像がはっきりしていない気がして、その意味でまだ発表はできないなと。なんか、つべこべ考えずポスターなりなんなりで発表しなきゃそういうことに気づけない気もするが、やっぱり学会発表するからにはそれなりの完成度を持って行きたい。うーん、まだまだ未熟だ。
正直、今回の件は結構へこんでる。学会発表は結構意識してたとこがあったから。結果が出てこない先行き不透明なということもあって、焦りも先行してる。今日の月曜ゼミでも指摘いただいたことだが、一回腰をすえてじっくり論文を読むということは必要だ。なんか、あせってしまって大事なところを読み飛ばしているところもあるから。一度、落ち着くことだ。
発表を断念し、心に隙間が出来たせいか(?)、久しぶりに日記を見てまわった。私は学部3、4年のときから、T氏の雑感とか、S氏の日々の研究とかを見て回るのが好きだった。研究者としての態度をそこから学び取ることも出来たし、何より、一線で頑張っている研究者の個性豊かな日常を見るのがなんだか面白かったから。自分が日記を書き始めたのも、前者の方々の影響が大きかった。実は、T氏の物理を使って人を笑かすような日記(?)を目標にしていたのだが、あんまりそうなってない気がする(笑)T氏の雑感にせよS氏の日々の研究にせよ、日記の体裁が人それぞれで皆違うのも魅力の一つでもある。TRMT氏の物理学者見習い日記とかは、結構個性豊かで、あぁいうのも僕は好きだなぁ。でも、日記の理想は宮沢賢治に尽きると思う。あの「雨ニモマケズ…」の文章も日記からの抜粋である。あの流れるような文章。言いたいことがなんかストレートに胸に突き刺さるようなそうな錯覚すら覚える。言葉も非常にきれい。宮沢賢治の作品は、『銀河鉄道の夜』にせよ『注文の多い料理店』にせよ、非常に描写がうまいと思う。あと、あの無駄の無さ。自分の無駄が多くひたすら書けばいいと思っている如是我感とは大きな違いである。できるものならあの領域に達したいものだ。
久しぶりなので、結構調子が乗ってる。S氏の日々の研究の11/12についてをちょっと考える。自分の能力と研究に関しての私の知見は、学部時代にお世話になったI.S大先生に大きく依拠するもので、S先生とも大枠考えは一致していた。ただ、「進退のみきわめ」というのがちょっと真新しかった。I.S先生は「自分の能力にあった研究分野を見極めることが大事」とおっしゃっていたと記憶しているが、そこには「進退の見極め」という要素は無い。I.S先生の論調は、いつも(誰でも研究者になれるという意味で)甘くそれでいて(なるには非常な努力が必要だという意味で)厳しかった。人の将来がどうなるかを予見し考えるのはあまり気が進まないこと(現在が大事だから)だが、将来ぶち当たるよもしれん問題ゆえに気になる。しばらくは、I.S先生のスタイルを貫くことが自分の中でも妥当だが、進退というのも考えに入れておかなければならぬかもしれん。それにしても南部氏の「興味ではなく、能力ですね」という言葉すごい。大事を為しえたがゆえに、重く響く。

12/1
12/4までに自分の作ったハードルを越えられるか否かで学会のポスター発表の有無を決めることにした。それにしても、今まで俺が発表してきたことの内容の甘さに今更ながらへこむ。やるべきことがまだまだ残っている。