ここには、私が日々なんとなく思うことを書きつづっています。



>> 先月の日記


3/1topics
あぁ、またやらなきゃいけないことを思い出した。あぁーーー。

2/26,27,28論文紹介
この三日間、論文紹介のため研究室に泊り込んでいた。計算機室で寝たり、自分の椅子のところで寝てたり、絶対に疲れがとれてないだろうなぁと思う。28日に論文紹介で、その後に飲み会。論文紹介は、自己採点で30点ぐらいかな…。さりげなく目標にしていた「五十嵐先生と福井先生からそれぞれ一つ以上は質問される」ことと「中川先生に口出しされずに自分の独断の場で論文紹介を進める」ことの両方が達成できなかったのが30点の理由。30点は、努力賞みたいなもんかな。割と自分で納得がいくプレゼン資料が出来たから。ただ、目標が達成できなかったのは、ちょっとなぁ。先日福井先生に怒られて、その汚名返上と言う意味で結構気合を入れてかかったんだけど、なかなか難しいです。
飲み会は楽しかった。やっぱ気の合う仲間同士で飲み交わすのは楽しい。ただ、一点反省点を述べるとすれば、後輩をつぶしてしまったことかな。まぁ、年度末だし、許せ。
明日から、説明会,面接などで東京に向かう。今回は、結構長期滞在かな。面接とかも対企業は初めてだから、ちょっと楽しみでもある。なんか自分を試す意味でも。要は自分の思考がいかに相手に理解が得られるかだから、面接官との思考のバトル。楽しみだなぁ、どれだけ自分が受け入れられるか。
今日はmixi批判を書きたかったが、今日はここまで、ちょっと飲みすぎてねむいので。それでは!

2/25適度に勉強も
久しぶりに徹夜越しです。今日(昨日)は、結局夕方ごろまで就活をして、晩飯を食べた後辺りから論文紹介のための勉強をした。ここのところ就活ばかりやっていて、まともに物理を勉強する期間が取れなかった。その分、今日は面白かった。一度遠ざかってまた戻ると、やっぱ物理は面白いなぁって実感できる。
今やっているのは、関本氏の論文で、ゆらぎのエネルギー論の枠組み内でCarnotサイクルを議論しようと言うもの。論文を読み進めていくと、ゆらぎのエネルギー論の枠組みだけでなく、熱力学のこととかも気になりだして、関本氏の本を含め、田崎氏の熱力学をがっつり読み込む。お陰でずいぶん頭の中を整理することが出来た。ゆらぎのエネルギー論での熱環境の断絶と接触とか準静的過程とかあとメモリーとか。関本氏の話をやっていって再認識したことだが、関本氏の一連の仕事は熱力学の土壌の上に出来上がっている。それゆえ、関本氏の話を理解するには、熱力学の考え方がしっかり出来ていて、その上でゆらぐ世界の話とどこでどう違うのっていう視点が必要だった。私の場合、田崎氏の熱力学の本はそこまで丹精に読み込んだことが無かったから、その辺で不足があった。まぁ、何はともあれ、今日中に整理し切れなかったものもあるから、それは明日中に何とかしないとなぁ。そして、明日中にはパワポでまとめる。
今日みたいに一日を就活と勉強,研究とで適度に割り振ってできればいいんだけど、なかなかいつもうまくいきません。

2/24就活所感
最近のネタがずいぶん就職活動よりになってきた。前までは、まがいなりにも研究日記として通してきたかが、最近のは同じ研究でもまるで「業界研究日記」だな。まぁ、最近の新しい話題で、当面の関心ごとであることは間違いないわけだから、そうなってしまうのも当然と言えば当然かもしれない。でもやっぱ、一抹の虚しさが残るなぁ。
就職活動日記なんて、巷にあふれてる。ちょっと調べりゃ、ネット上に散見される。それをビジネスにしてて、積極的に情報を提供するサイトだってあるんだ。そう考えると、何も俺がこんな情報発信の仕方をしなくたっていいわけだ。「就職活動は恋人探し!」(by俺)とか「説明会は、志望動機を見つける場!」(by.I氏)とか、そういうことはどっかの誰かがとっくにもう言っててそうで、なんかちょっと萎えるわけだ。ただ、やっぱ自分の切り口でなんか言いたくなるわけで、それを通じて自分を理解していきたいわけだ。なんか、こう、情報に新しさはないかもしれないけど、しばらくは自分の心境をまとめる感じで書いていきます。…って、考えてみれば、俺の今までの日記もそんな斬新でもなかったような。
ここ最近になって、就職活動が急加速してる感じだ。ちょっと前まで研究一本できたのに、ここにきてスタンスがほぼ一変した。2月に入って、説明会とかエントリーの締め切りとか、どんどん差し迫ってきてる。もし自分のやりたいことが見つけられるような企業の募集が明日締め切りだったら…、そう考えるといてもたってもいられなくなって、情報詮索に走ってしまう。しかもたちの悪いことに、この情報詮索ってのはきりが無い。日本にいや、世界にあまたある企業の中からベストと思えるような企業をリストアップするのは、それだけでも骨が折れる。それに、1社ですら会社内の状況なんて見えてこないのに、それを何社もどうであるか調べるなんて途方も無いことだ。そんな状況で情報詮索してったら、とんでもない量の情報を集めることになる。(無論、そんなに情報を集めても人間は処理しきれないわけで、たいていの人は各人各人の判断基準を設けている。)そうこうしているうちに、どんどんドツボにはまってく。
もう俺も24。自分のやりたいことがなんなのかとか、自分がどういう人間であるのかとか、そういうことはある程度認識できていなければおかしな年頃だ。そういう自己認識の上で、職業を選択したり、行く末を決めていかなければならない。(その意味で、どういう事情ともあれ、ニートとかホームレスとかってのは、ちょっとけしからんと思う。)ただ、最近ちょっと流れが速すぎると思うときがある。バシバシ自己決定していく、それはいい、ただ、さしてよく考えずにどんどん決定していって、将来後悔することになりはしないだろうか。ちょっとここは悩む。たとえて言うなら、近年日本の法律改定のようなものか。サマワ派兵をめぐって、法的整備と称し案件をどんどん成立させていった。必要であればそれでいいとは思うが、そんなに急スピードで成立させていっていいものか。ふと、不安に思うときもある。そんな感じ。ただ、こうするより仕方ないのではというのが俺の立場だが。
司馬遼太郎の『国取り物語』で明知光秀が、「自分のありあふれる才能をどうすれば最大限に活用できるのか。」という点で悩む節があった。さすがに頭のいい奴は悩むところが違うなと感心したものだ。(まぁ、そう洞察した司馬氏が鋭いと言うか明知氏がすごいというか。)と言うのも、凡人は、自分の才能を発見できずに往々にして悩むことが多いとからだ。人には、必ずいい点悪い点がある。才能もひとそれぞれ、必ず各人に託されている。ただ凡人が凡人で終わってしまうのは、その未知なる自分を開拓できないことにある。その点才者は、自分の得意不得意を見据えていて、決して不得意な分野で勝負しないようにしている。それゆえ、才者は、自分の才能をどう生かすかを考えるのであろう。
自分の才者に見立てようという気はさらさら無いが、自分も悩むべき点は、将来何をするかを見据えて、今どうするか考えることだ。早いとここの辺りを固めておかないと、進路もおぼつかないであろう。
インターネットが普及して以降、就活のスタイルも職業観でさえも昔に比べ結構変わったのではないかと思う。(←昔はよくわからんが)情報が、あちこちにあふれているから、就職も転職もぐっと身近なものになり、それだけどの職業に就く選択肢も増え、悩む人が増えたり、人がより流動的になったと思う。一言でくくると、人材の流動化かな。これは今までの日本の価値観とは、結構異なるけど、今後は多分こういう考えはスタンダードになるのではないかと見越す。その点、アメリカではすでに人材は流動的だった。変化を好む土壌があったからかな。その辺が日本と違うとこだ。インターネット,情報過多の時代、考え方の変化ってのは、いろんなとこに垣間見えそうだ。それはさておき、人材が流動化することは、ビジネスプランの枠が豊富になることを意味するだろう。その点で、ヒューチャーゴールと今の自分とを結ぶ線は、豊富にあるのではないかと思う。
今日はたくさん書きたいことが思い浮かんだけど、どうも雲散霧消でいかん。考えには一貫性はあると思うんだけど、実際に書いてみると、どうもメインストリームが見えない気がする。まぁ、仕方ない。ちょっとたくさん書きすぎて、後半はちょっとやっつけ仕事的になってしまった。一応まとめておくか、高度情報化社会→人材の流動化→ビジネスプランの枠が拡大。こんな状況下で、将来何をするかを見据える→今何をすべきかを考える→就職活動なり進学なりなんなりってことかな。

2/23夜更し
ピヨピヨピヨ…。俺は就活してんだぞぉー…。

2/22就活っす
就職活動のため上京。今日は大手銀行の(情報系の)シンクタンクに行った。正直、SEといった感じ。SEには絶対になりたくないって思っていたが、職を本気で探すなら、SEを狙うのが無難な気がする。コンサルとかシンクタンクっていうのは、仕事自体には魅力を感じるが、いかんせん募集人員が少ない。その中に自分が入れるかって考えると、さすがの俺でも消極的になる。ただ、今日うちのおやじぃとも話していたが、「SEは年をとったあとが大変だ」とか「理系は文系にいいように使われている」とかなかなかいいことを言っていた。確かに、そうではあるんだよな。コンピューター業界はものすごい勢いで技術革新してるし、それに伴う知識を年をとってからも拡充し続けるのは、相当ハードであろう。それに、うちら理系と言うのは、その手の専門家になって新しい技術なり知識を創出するのに生きがいを感じているから、それを使う立場の人間にいいように使われてしまうかもしれないのだ。そう考えていくと、下手に研究職に固執するよりは、心機一転でやりたいことを一から探す方がいい気もする。特に俺の場合は文系のフィールドで、理系のセンスが生きるようなところがいいんだけどな。…とはいえ、悩むなぁ。どっちも中途半端にならなきゃいいけど。
それにしても、(昨日の件に関わることで)今日福井先生から言われたことは効いたなぁ。昨日の行動は、大学院生――研究者を目指すもの――としての自覚を問われるよ。まぁ、切り替えして、明日の説明会にもぐりこむこと(人がいっぱいになったけど入れるよなぁ)、それと来週の火曜の論文紹介に的を絞っていくこと。この2つだな。

2/21就活と研究のバランス
ここんとこ研究が全然進んでいないことに気づく。先週一週間の間でも、まともに勉強なり研究なりしたのは一日ぐらいにしか思えない。それ以外にやっていることといえば、就職活動ぐらいか…。研究がしたくて、そのために大学院に進んだはずなのに、その実やっていることといえば就職活動なんて、なんか変だな。S先生は「いい研究をすれば、おのずと就職先が決まる」なんて言ってたけど、どこまで俺に出来るんだろ?
今日は修論の発表会があった。なのに、昼過ぎまで眠ってて、結局出れなかった。何しに水戸に戻ってきたのか、これじゃさっぱりわけが分からない。中川先生も今日の件を咎めはしたが、研究に関してはさして触れず「就職活動大変ねぇ」といった具合だった。 悔しい。 やるべきことは明白でしかもそんなに難しい作業ではない。高々、適当にパラメーターでモデルに出てくるノイズを発生させて、自己相関を取って最適なパラメータを探すって言うだけの話。何をこんなに手間取ってるんだ。研究に対するやる気が後退してるのか、就活にかける時間が多すぎて研究に割く時間が多くて多忙になっているのか、よくわからん。ただ、このままじゃ中川先生に俺の実力を認めさせるのは到底出来なくなるだろう。かといって、俺には就活も研究もやりこなしていけるバランス感覚があるかといえば、そうでもない気がする。ふぅ…。来週の論文紹介はこなすものとして、今後就活と研究とのバランスをどうとるか、考えないと。
なんか、今日はちょっと気分的に下降気味だな。明日は東京で説明会。

2/20いろいろ
しばらく水戸を離れていて、日記を空けてしまいました。ようやく水戸に戻ってきたので、日記の更新を…と思いましたが、若干疲れてます。書くべきこと書きたいことはたくさんあるんですが、ちょっと今日はそこまで至らずで、すいません。寝ます。

2/14説明会
今日はひたすら就活!そして初説明会!学内の説明会と言うだけあって、割とリラックスした感じだったけど、やっぱり緊張感が漂ってた。皆笑わねぇんだなぁ…。コミュニケーションには笑うのは大事だと思うんだけど…。
行ったのは、J銀行とTセラ。J銀行は地銀だが、業界の動向でも探れればなと思い参加。説明後の会話や何気ない話が参考になった気がする。もう少し周りの人と仲良くなっておけば良かったかな。そこは反省。Tセラは、いわゆる半導体メーカー。最初は興味があったのだが、話を聞いているうちに技術志向が強い気がして、どうも面白そうじゃなかった。なんか俺って変化に富んでる職場がいいのかな?例えば半導体メーカーに就職したとして、ずーっとシリコンやってますって感じになりそう。それに、技術志向が強いからちょっと向いてない気がした。個人的な志向は、銀行系のシンクタンクと化学系。特に、シンクタンクへの志向が強まってきた気がする。改めてウェッブサイト上でチェックすると、意外と枠が狭いことに驚かされたが、コンサルとかシステムインテグレーターとか広い範囲で見ていけば、なんとかならんでもない。それに、やっぱ自分のやりたいこと見極めなきゃな。「あそこは無理」「行けない」とかってのは自分の可能性を狭めているようで嫌だから、自分が面白いと思う仕事を探そう。自分でどこまでやれるか、試してやろうじゃないか。
とりあえずは、シンクタンク。進学かどうかは、内定をもらってから。
黒い髪 シャツにネクタイ 一張羅
エリート気取りも 外見だけかな
なんつって。

2/13悠長
中川ゼミ。俺の考えていたアイデアより、はるかにすばらしい考えが織り交ぜまられた冊子を中川先生が作ってきた。中川先生強っ…。そしてなんとも情けない俺…。生物に対する生のイメージやFBMの論文に対する数値計算の認識の甘さを露呈した感じ。ふぅ…。
ゼミの後、中川先生がしばらくして研究室にいらっしゃり、ちょっとした小話。M2の修論のことの話は、なかなか微妙だった。(自分のことで手一杯のはずで)先輩の心配なんぞしてる余裕なんかさらさら無いはずだが、先輩のKさんのことが気になった。それと、中川先生に「悠長だ」と評される。個人的にはオンオフの調整はまぁまぁ出来ているのではと思っていたが、こう評されては少し疑わなければならない…というか、俺のオフ状態に問題があると心得た。ヒラは「俺がウチナータイム(沖縄時間:時間がゆっくり流れていて時間に対する切迫感が欠如すること)をかもしだしているからかもねー」とか冗談を言っていたが、確かに時間の使い方というのを考えた方がいいかも。一日にもっと集中する時間があれば、なんかもう少し有意義に過ごせる気がする。中川先生は「研究の進度とはあまり関係はない」といっていたのがちょっと意味深だったけど、まぁ、オフ状態を見直せってこっちゃ。確かにそうかもな。
俺はどうも知人の前とかで「バリバリ勉強してんだぞ!」って見せつけるのは好きじゃなくて、さりげなくやっていたいっていう変な信条があって、あ、いや、だからって知人の前で勉強しないってことじゃないんだけど、なんとなく。ただ、ちょっと考え直さなきゃならんよね。個人的には食事も勉強も「質より量」派だから、勉強する時間はぐーたらでも(オフ状態が多くても)長い時間をかけて。つまり長時間勉強に費やして、なんか調子に乗ったときにがっと進めるって感じなんだけど。とりあえず、今は考えがまとまらんし眠いから今日はここまで。

2/12現役西高生
今週末は東京埼玉に戻って、友達や親と顔を会わせてちょっとリラックスできた。ただ、今回の帰省の間はどうも研究のことが頭から離れず、いろいろ考えていたのだが、どうもいい構想が練れない。マジでセンスねぇなぁ…。週末に先生に「帰省中もやります」って言ったけど、これじゃ何の足しにもなってねぇ。
いい発想ってのは、偶発的に起こるものではなく、必然的に生じるものだと思う。某S先生が「研究の成果は、その人にinputがあって、初めてoutputが生じる。それは必然である。」と言うようなことをおっしゃっていた。確かその後は「inputが大事だから、環境を整えるのが大事だ。いい研究者は環境を整えるのが非常にうまい」と続いたと思う。それはさておき、もし発想が必然で起こるのなら、おそらく、俺に対するinputが不足しているか(もしくは俺が凡人だか)らであろう。具体的には、問題が絞りきれていないということだろう。これは大いにありえることで、それは例えば、数学の問題で答えが合わなく間違いに気づかないときに、他人からどの(箇所ではなく)部分が間違えているかを指摘されると間違いに気づく(別の発想が出てくる)といったことに裏うちされるだろう。だから、もっと問題点を絞って、その一点に焦点を当てていけば、きっと考えがまとまってくるはず…なんだけど、なかなかうまくいかない。言うは易し行なうは難しですな。この考えは、自分が凡人であると考えるよりは、よっぽど+思考なので、俺は好きなんだけど。
今日はたまたまファーストフード店で現役の西高生に会った。盗み聞きするつもりは(勉強してたから)さほど無かったのだが、やたら話している内容がよく分かるもんだから、つい耳が傾いて、途中からは完全に聞いていた。あぁ、懐かしいなぁ。話の中に過去の自分を重ね合わせたり、今の西高生像を膨らませたり、聞いていて楽しかった。あまりに偶然で親近感が沸いたものだから、何を言うとも無くつい話しかけちゃって、ちょっとおしゃべり。別に先輩面して「あーだ、こーだ」と言う気はさらさら無く、単に「現役の西高生が楽しそうにやっているのを見てうれしく思ったこと」と「今の西高生にがんばって欲しい」ということを伝える。もっと伝えたいことがあった気がしたが、その場ではその2点だけしか思いつかなかったなぁ。咄嗟の状況って、その人物の良し悪しが分かるようでやだな。
教育実習に行って思ったことだが、今の西高生はちょっと自信に欠けてると思う。きっといいものはもっていると思うのだが、会うと必ず「昔の西高生はすごかったんですよね」とか言われる。続いて、「うちらは、…」とくる。以前に歴代の西実(西高祭実行委員)の委員長が集まって討論するといった主旨のものに参加したときがあるが、そのとき西高祭の質から言えば、そんなに今の西高生で見劣りするようなものがない。むしろ、うちらのときよりももっといいものを引き出せている気すらした。ちょっと西高生特有の甘えた論理かもしれないが敢えて声高に「西高生のポテンシャルはすごいものがあるんだから、自信をもって頑張って欲しい。今も昔も同じ西高生なんだから。」もちろん、俺も母校のために頑張りますが。我が母校、西高、日大のために。

2/9意味不明
ここんとこの日記を見てるとどうも釈然としないなぁ。前は多少はいいこと書いてたんだけどなぁ。たるんでるのかな。
皮むき機(器?)でじゃがいもの皮をむいているときに、人差し指を切った。痛いッす。…。三味線の練習曲、「津軽甚句」がもう少しで通して出来そうだ。…。例えば、こういうこと書いていっても、なんかの情報の発信になるのかな??研究のこと書いても、まだ自分の思想を暖めている段階だから、他の人に共感してもらえるようなことってなかなかかけてない。研究って切り口でも、深めていけば、きっといろんな人に納得してもらえるような情報発信が出来るんだけど、なかなか難しいな。個人的には書くことに意味を感じてるから悪くは無いんだけど。
今日は中川先生に集中講義の感想の報告(?)と今後の研究の展望についてお話しをする。今日の俺はなんか弱かったなぁ。一言で言うと、「弱っ!」って感じ。まんまか。なんか、なんであろうなぁ?昨日までの経過をひきづってかなぁ?あんまりそういうのを引きづってるつもりはないんだけどなぁ。…。普通の俺の場合、勝負を開始する瞬間までは絶対にひるまないでいって、形勢を見て「あ、こりゃだめだー」とか「何とか押し切れるかも」とかって感じなんだ。そうだ、今日はそれがなかった。始めから白旗あげてる感じだった。うーん、でも病んでる感じじゃないんだよなぁ。結構、研究室に行って一日少しずつ物事こなしてる感じするし、研究室に行くことに抵抗は全然感じないし。研究の道筋がはっきり見えてないからかな、いや違うなぁ、自分の実力?そんなの気にするタイプじゃないしなぁ。結果の出ないあせり?多少はあるけど、かといってこうはならんし。まぁ、いい。よくわからんが、明日から何とかすっか。意味不明だなぁ。ただ、今日は結構へこんだな。茨大に来て、学内にいる間では一番きいたかも。それがなんでかも分からんけど。とりあえず、もうちっと威勢良くいかないとな。学部のときに、院生や(何人かの)先生を馬鹿にしてたぐらいの感じで、それはやりすぎだけど、そんな感じで。

2/8量子力学と物理の理解
今日は目覚ましの音ももろともせず、電話の音にももろともせず、昼過ぎに起きる。ゼミにも出れなかった…。あー、ちょっとこういうのは研究の進度的にもいかんよなぁ。中川先生にオコラレハァ…。
今日は、(そんなこんだでやけになって夕方ぐらいまで本を読んだり三味線を弾いてたりしたが、)切り替えて夕方過ぎになんとなく徒歩で学校に向かう。やったのは、やりかけていた量子力学のレポートの問題。スピンとか摂動とか変分とか。学部レベルの問題だが、久しぶりにいい復習になった。問題は全部解けた感があるから、明日に全部まとめて提出しよう。それにしても、全部解けてよかった。
ヒラも量子力学のレポートを一緒にやっていて、その都合上(?)後半は「Shrodinger方程式はどこから来たか」というのを一緒に考える。量子力学を初めて勉強した人は、不確定性とか波動関数とか演算子とかそういうのになじめないといったパターンが多いようだ。ヒラも運動量演算子がどうしてあの形で与えられるのかが、最初の時からよくわからず、苦労した(している)らしい。他の人と話していても、よくそういう話を耳にするが、私の場合はわりと勉強し始めのころはそうでもなかった。というのは、物理的に何を意味しているのかを自問自答するよりは、ただそこにある数学的な体系的な美しさに魅かれていたからだと思う。なんだかよく知らないがそれを受けいれるとずいぶんうまくいくみたいで、しかもそこに出てくる数学的手法や考え方というのが恐ろしくスッキリしていて美しい!だから、前提を疑うということよりは、そこにでてくる計算などに拘泥していたのだろう。「そんなの考えなくても、じきに分かるだろうさ」といった具合に。
ただ、やっぱりあるときに「なんかおかしいぞ」とか「なんかよくわからんぞ」とか思うときがある。量子力学の場合、それが怖いのは、「それを考え出すとわからなくなる」と言うことが往々にしてありうる。いや、どの分野でもそうかもしれないけど量子力学の場合はそれが顕著なのだ。そういう立場に立つと、「量子力学は誰もよくわからずに使っている」というまこともって不思議な学問分野であることになる。昨日西森先生が「Shrodinger方程式がどうして出てきたのか分からない」,「論理はいつもあとからくる」とおっしゃっていたのが印象的だった。言っているレベルはおそらく私なんかよりはるか違うレベルでものをいっていると確信するが、それでもやっぱり「よくわからない」というのである。(だから、踊ってみたりするのだろう。)学部時代にD研ゼミでKG方程式やDirac方程式とかを勉強したとき、なんかShrodinger方程式が出てくるのも分かる気がしたが、おそらくそれも「後からきた論理」なのだろうと思った。
物理を理解する――それは人それぞれの理解があろうが――それは、現象と本気で向き合った末に出てくる自然な発想なのかもしれない。いくら紙の上で、もしくはパソコンの画面上で、小手先の計算をしたというだけでは、物理を理解するということには到底ならないのかもしれない。ふぅ、言っていてだんだんへこんでくる。物理を理解するとは、研究をもってしてということなのかな。ということは、人間の理解できる範囲なんてすごく断片的なものかもしれないな。大変だ。
とりあえず、今思うことは、量子力学の「真の理解」をえるには量子力学が出来た当初にどういう現象が注目されていて、どのようにそれに対して考えていたのかを調べ、同じ気持ちで考えることが大事だと思う。だけどそんなこと考えていったら、とてもじゃないけど勉強しか出来なくて、研究なんて出来はしない。(←俺の場合だけど。)だから、量子力学を物理の立場で「勉強する」上では、科学哲学的なところにはさほど手を出さないほうがいいのかもしれないと思う。(←俺の場合は趣味レベル。)それを考えても科学的な発展にはさしてつながらないかもしれないから。そうでなければ、永遠の迷路をさ迷い歩くことにもなりかねるからね。あ、でも問うてもいいような問題もあるかもしれないね。よくわからんな。「人それぞれ」という言葉で逃げておくか。
今日はTAの教え子のNさんが研究室に来てくれた。前期の授業でも研究室に来てくれた人もいたし、こういう積極的な人がいてくれるとこっちもうれしくなる。積極さが人生を切り開く。なんつって。今日はほぼ徹夜してしまった…。

2/7手抜き日記
今日は今日で楽しかった。
ぐへぇ、酔っ払った。
二日続けてですか!
朝起きて、なぜ地球儀があるかを考える。
今日の飲み会の参加者は、わずかに3人。俺を含めて3人。長谷川先生と西森先生と三人で。うーん、なんか、すげぇいいこと言ってた気がするけど、さして覚えてない!いや、ただ、その言葉が必要になったときに、きっと思い出すのだ!きっと。西森先生は、ご自身はそうおっしゃらないけど、やっぱただの奇人変人ではない。切れる人だと思った。なんだろ、いわゆる頭が切れまくる感じじゃないけど、一瞬の洞察と言うか感性というか、とにかく、いい研究にこじつける力はありそうだし、そのにおいをかぎわける力がありそうだと感じた。アリの研究にせよ、バルハンの研究にせよ、実物の現象を眺めているうちに、これはいい研究になると直感したらしい。すげぇなぁ。最初は、なかなか受け入れられなかったらしいが、それを相手に認めさせるほどの結果を出したと言うのだから。ご自身の直感で、これはいい研究になると思って、それをやってのける。その洞察たるは、やっぱすごい。話し聞いてて、さすがだなぁって思った。
長谷川先生から「飲んでるだけじゃダメだ、ちゃんと研究もしろよ」と言われる。おっしゃる通りでございます。
長谷川先生が、西森先生のエンカレッジする力を非常にかっていた。エナジャイズとか言ってたっけな。よー覚えとらんが、相手をその気にさせたり、勇気付けたりするようなこと。優秀な人材たるや、それしきの力は必要なのであろう。
だーめだ−、もうねみぃーーーーーー。

2/6西森先生、来水戸
うへぇ、昨日の筋肉痛が。
今日は西森先生の集中講義一日目。内容は、ブラウン運動からFokker-Planck,マスター方程式らへんまで。中川ゼミとかで、ちょっと独りよがりでやっていた内容だけに、こうやってまとまった形で講義をしていただけると、知識の整理に非常に役に立つ。(昨日の話にもつながるなぁ。)個人的に既知の内容が多かったが、自分の中で曖昧になっていた点、捉えるべき見方を講義の中で質問としてぶつけることが出来たのが非常によかったし。楽しかった。いろいろ勉強になった。特に目からうろこだったのが、くらまーすあんどもやる君(西森先生風に)の考え方。あれはマスター君を求める上で、遷移確率とかは非常に決めにくいから、それを何とか観測量に落とすためのものという視点だ。あの辺は、ただ字面だけ追っていた感があって、どうも釈然としない感じだったが、なるほど、上のように理解しておくべきものだったのか。なるほど、これは結構いけてるなって思ったけど、よく考えたらくらまーすあんどもやる君に出てくるモーメントは実験から一意に決めるのは難しい…というよりは、定常状態では一意に定めることが出来そうだが、非平衡でどこまで使えるものかというのは疑問に残る。ただ、まぁ、なんか、結構応用できそうだなって感じ。初日の講義としては、質問も積極的に出来たし、結構満足。
ってなわけで、今日は飲みました。Nセンセーの話は面白い。俺もこれぐらい面白い人間になれたらなーと思う。熱力学の試験のときに、パチンコが開店してるのを見つけてそのまま入店して、熱力学の単位を落としたとか、学生のときに飲みの席でバイト代をばら撒いたとか…、いや、これ以上はあんまり書かないほうがいいかな(汗) あくまでNセンセーの話であって、今日ご講演なさっていた西森先生とは(おそらく)関係はありません。
今日の飲みの帰りに、ゴミ置き場にあった地球儀を持ち帰る。ソビエト社会主義連邦共和国とか路線図で当時つながってなかった線を見つけたりして、見てると楽しい。ガラクタを集めたりめざとくなったりするのは、酔っ払いの習性かなぁ。気づいたら電話番号の登録件数が増えてたり、変てこなメールを友達に送ったりする習性もあるんだよなぁ。これもよくない癖だなぁ。なおそうと思うんだけど、気づいたら直ってないんだよなぁ。酔っ払うとこういうのが暴発していかんなぁ。でも日記の更新でちょっとまじめな雰囲気に戻ってるってのが、なんとも不思議だなぁ。さっきまでテンション激高だったのに…。Kさんに日記のテンションと普段のテンションでギャップがあるから二重人格なんじゃないかって疑われてるしなぁ。…。

2/5肉体疲労
今日は久しぶりにテニスをした。最近はM2の修論のまとめ作業の時期。いつもテニスをやっていたKさんも近頃は家にこもって修論を仕上げているようだし、Sさんも度々修論の草稿を印刷している。皆忙しそうだ。やったことをまとめるという作業は、大変なことと思う。自分の勉強したことを思い出したり、データをまとめたり、それをタイプしたり。2年間の蓄積に対してそれらをやるんだから、そう容易い作業じゃないと思う。ただ、必要なこととも思う。自分のやったことを体系的にまとめると、知識や研究の流れをスッキリさせることも出来るし、自分の不十分なところにも目をつけられる。来年はわが身かぁ…。
そんなわけで、しばらくやってなかったテニスだが、今日は一人で壁打ち…と思ったら、たまたま一人で打っている人(Uさん)がいたので、お相手をしていただく。ラリーの感覚では、やっつけられそうな気がしたが、いざ試合をすると6-4で負けてしまった。あちゃー。どうも前の玉の処理ができていなかった。目はついていくんだけど、足が動かない。うーん、現役には勝てんのかなぁ。4-4からもう少し粘りたかった。というか、後ろで打ち合う形で試合をもっていくべきだったのかな。しばらくぶりにやって、前に出てボレーなんてなかなかうまくはいかんよな(苦笑) いや待てよ、ラリーを打ってる最中に後方で打ち合う形での展開は不利と読んで、前で勝負させたとか? いや、考えすぎか。いずれにせよ、後半は足ががくがく。1セットでこの有様かぁ↓情けない。Uさんとメアドを交換し、また一人院生テニス連盟が増える(笑)
FBMの論文。導出できなかった関係式が、最初の地点でのミスが原因だと気づき導出に成功する。しばらく時間を空けたお陰で(?)虚心に解くことが出来た。どう考えてもならないと思っていたら、計算過程でなく、最初だったのかぁ。くだらんミスだったなぁ。でもそのお陰で、また新たな課題が見えてきたので、明日以降に頑張らなくては。明日から集中講義。

2/4確率論
そういえば、節分しなかったなぁ。コンビニで節分用の豆とか、明らかに怖そうじゃない鬼の面とか、そんなの並んでたっけ。でも一人暮らしで寂しく「鬼は外、福は内」なんて言っても悲しくなるだけかもなぁ…。
今日は朝に県立図書館に借りた本を返して、昼に好文庵で食事して、それで、研究室に居座って、また大学の図書館行ったり。どうも研究がうまく行ってないときは本にすがりつく癖があるようだ。話は変わるが、どうも図書館員の人は私は好きになれない人が多いが、茨大図書館の初老のおばぁちゃんだけは、どうも頭が上がらない。なんか、対応が丁寧と言うか、徳を感じるんだよなぁ。最初に面識をもったのは、結構前に書庫に入って「ランジュバン方程式」って本を借りたとき。そのときにそのおばあちゃんが声をかけてきて、ランジュバンの話をしてくれて、それが結構衝撃的だったんだよな。そのあと、時間ギリギリで貸し出しを締め切った後だったんだけど融通効かしてくれて本を貸し出してくれたり、本のリクエストを出したときに一言二言賛同してくれるようなコメントくれたり。いや、なんか、そういうんじゃないなぁ、なんかすげぇ人に感じるんだよなぁ。よくわからんが。そういえば、今日はカウンターのところでアンデルセンの小説読んでたなぁ。
中川先生にゼミの日程の連絡で、「月曜から集中講義があるので、ゼミは水曜か今週は無しにしましょうか」と言ったら、「今出君を一週間も野放しにはできないから…」とのご連絡を頂く。信用ねぇなぁというか、実質の「さっさとやることやりなさい」宣言と心得た!やべー。悠長に確率論なんて勉強してる場合じゃねぇ。明日のテニスの予定も長谷川先生からキャンセルの連絡いただいたことだし、明日はゼミの準備だなぁ。あー、完璧な状態でゼミに臨まないと大変なことになりそうだなぁ…。テニスしてぇ。
今日は雑多なので、まじめな話も。確率関数と確率測度の違いが分かった気がする。測度は「測れるかどうか」と考えた方がいいと思っていたが、なんか概念的に粗視化に近いんじゃないかなと思う。確率関数が一番微視的に見てる感じで、事象とかってのになるとぼやっとしてくる感じかな。木のフラクタル次元をボックスカウンティングで測ったときみたいにきれいな粗視化じゃないけどさぁ。そんな気しません?あと確率変数って、確率空間上の可測関数のことだったんだ。変数ってイメージしかなかったけど、いわれてみると確かに関数だな。何も知らなかったんだなぁ、俺。
TRMT氏の日記が英語になって、(日本人から見て)読みにくくなった。あと、Tっち論文出すのかー、すげぇなぁー。俺もがんばらなきゃなぁー。

2/3勉強しなきゃなぁ
今日はゆっくり集中してやる時間が結構あったのに、じっくり出来なかった。集中力が足りんなぁ。ここ数日、FBMの論文から派生して、数学的にしっかりしたBrown運動や確率論,確率積分のことが気にかかってきた。FBMでやっていること自体、Brown運動の議論にもとづくものだったから、もとを正せばしっかりやっておかなければならないことではある。そうはいっても、数学的なバックグラウンドの少ない俺にとってはなかなか大変なもので、今日はやたらめったたら本を借りてはバラバラめくったり、あーだこーだと考えたりで、あんまり的を得たことは出来なかった気がする。そう考えると、やっぱFBMの論文ってのは俺にとっては高いハードルなのかもな。
もっとも今やるべきことは、別に数学的フォーマリズムをしっかりやるというよりは、もっと物理的なイメージをしっかり持つこと。FGN,FBMのシミュレーションが出来ても、物理的なイメージがなきゃそれをGLEにのっけることができない。中川先生からご指摘いただいたのもこの点で、まことに恥ずかしい話だが、前の話し合いのときはホワイトノイズのイメージすらまともに持てていなかったことに気づかされた。そういったことを意識してやるべきなのだが。
田崎さんの集中講義関連で相対エントロピーについて調べる。どうも相対エントロピーの概念がつかめなかったので、調べてレポートに添付しようと思ったが、間に合わなかった(苦笑) 結果、相対エントロピーとは「二乗誤差の概念に近いもので、分布の近さを測ることが出来るもの」だと言うことがわかった。集中講義では「分布の距離のようなものだ」と田崎先生がおっしゃっていたので、分布の近さを測るという点では、そうかと思っていたのだが、二乗誤差の概念に近いという視点は個人的になるほどと思った。(そもそも距離っていう概念自体二乗誤差の概念に近いのかな?) 距離だったら何で(x^2+y^2)^(1/2)とかしないんだろうとか思っていたが、単なる操作上の問題なのかな、よくわからん。ただ、この相対エントロピー。すげぇ。やってみると、まだまだ可能性のある概念なんじゃないかなって思う。マジ期待。相対エントロピーを使って、自分で熱力学を作りましょうなんて、確かに考えて見たくなっちゃうよな。そう思ったけど、結局式が一行も書けず、あー俺熱力学も統計力学も一人で組み立てる力なんてまったく無いんだなと自覚。田崎さんの熱力学を勉強しようというモチベーション増加。
なんかここになって、知的欲求が暴発気味。がっつり勉強したい気分になってきた。

2/2研究対象
今日は物性談話会で京大の藤本先生のご講演。イントロのところで頑張って質問するも、後半は撃沈。話の流れはRVBだったかな?なんかスピンをシングレットとかみたいに見るモデルがあって、それで説明できるんじゃないかって注目されている現象(というか物質)がある。それをσモデルに縦方向のゆらぎを加えて考えたモデルを使って、そこに非摂動的に繰り込み群からアプローチしようと言うもの。やっていることはすごく技巧的で、特に後半は式がごちゃごちゃしててとても終えたものじゃなかった。研究に対してではなくあくまでも私個人の意見だが、あぁいうのを見せられると物性物理も転換期なのではないかと思う。あれだけテクニカルな計算をしていて、計算手法自体はすごくきれいなのに、モデルはと言えば何年も前のモデルを抜け切れずにいる。もちろん既存のモデルでも、そのモデルで多様な物理現象を説明できるものもあるし、それに対しいろんなアプローチを仕掛けて物性の一側面に迫ったりすることは有意義ではある。ただ、新たな現象に対して何でも既存のモデルを使って説明しようとするよりは、もっと自由にモデルを提唱したりという方が楽しいと考える。もちろん、既存のモデルが物性物理何十年の淘汰を経てきて残っている結果なのかもしれないが。
研究者、というよりは、人間誰しも今まで自分がやってきたことを否定される(or否定する)ことはつらいことである。自分がやってきたことを否定することは、その人の人格や存在に関してもまでも否定をすることにもなりかねるからである。それゆえ研究者においても、大学院生生活何年間で勉強してきたこと習得してきた技術というのは捨てきれないものであろう。ただ研究に至っては、これまで勉強してきたことさえ捨てることも覚悟しないといけないときもあると思う。もちろん、今まで培ってきた研究手法でがんがんやっつけていくと言うことも出来ようが、それでは攻め方が単調で自由な発想が出来ないのではないか。いつか中川先生に研究のオチのつけ方について尋ねたところ「いつもオチのつけ方は悩む。自分の得意技みたいなものができても、今度はそれを壊そうともする。」というようなことをおっしゃっていた。なかなか過激なことを言うなとそのときは思ったが、自由な発想と言う意味では、そういうスタンスにおいてのみうまれうるものなのかもしれない。
もちろん、量子スピン系の否定をしようというわけでもなく、藤本先生の仕事に関して毛頭否定しようという気もないし、現段階では否定は決して出来ない。私なんかよりも研究者としてはずっと先輩でもあるし、実力もはるかに上であろうから。ただ、注目すべき現象は物性においてだけではない、生物や社会現象などもっと広い範囲であるのだから、それに固執する必要は無いのではないかとは思うときがある。もちろん、固体物性が面白いと言うことでやっているというのであれば、そんなこと示唆する必要もまったくないし、というか示唆する資格すらないとも思うが。現時点では名刺(研究結果)すらもたない研究者にしか過ぎないわけだから。
今日は他にもいろいろ書きたかったが、夜も深けてきたのでここまで。

2/1非線形
昨日の二問目。解けない解けないと思っていたら、問題を勘違いしていて、実はあっさり解決。「…であることを導け」と「…であることを確認せよ」とではえらい違いだ。なんか、受験生に戻った気分だ。受験生のときにもよくこういうミスをやって後悔したっけな。今とあんま変わってないなー。考察として、数値計算をする。ただ、どうもバグが取れてないようだ。頭の中で予想する結果と全然違う結果が出てくる。非平衡定常状態を記述するような一次元格子(周期境界)の確率過程のシミュレーションで、分布がポテンシャルに依存してないような結果ばかり出ていて、常に一様分布。んなあほな…。
田崎さんの雑感を久しぶりに見る。蔵本さんの話が載っていて、非線形についての話が載っていた。先日夏の学校のメーリングリストで「非線形」と「非平衡」にかんして話題を吹っかけたということもあってか、ちょっと目に付いたので。それによると非線形科学とは"死んだ物質ではなく、身の回りにある「生きた」現象を相手にする"もので、"無数の要素のあいだの関係性こそが本質であると認識し、それを記述する数理的表現を模索する"ことによって成立しうると言うことらしい。なるほど、確かに明快だ。ある学問分野に関して、どういうものでどうアプローチするというのを言明できるのは、しっかりとした礎があっての上だろう。さすがだ。うーん、内容に関して、まだ消化できてないからうまくコメントできんが、スタンスはすごく好きだな。「身の回りにある」ってのとか「生きた現象」とかってのが。俺は研究に対する方法論みたいなものはまだまだ皆無に等しいし、まだ構築中だから、「関係性」に注目し、そこに「数理的表現を模索」と言われても、実際にどうやればいいんだろうとはたと考えてしまう。ただ、似たような考えは生物物理にも取られていると思うし、有用な方法論であると考える。ちょっとわからん。
今日は進度が悪かった。プログラミングのバグ取りに終始した感があるが、それでも一日たってこんだけしか進まなかったか…。いかんよなぁ。