ここには、私が日々なんとなく思うことを書きつづっています。



>> 先月の日記


9/30一瞬か経験か
以前の中川ゼミで発表したことの復習。 ゼミ直後にいろいろと問題点を指摘されていたのだが、ようやく少しずつ手直しができてきた。 しかし、実際に確認の計算をしてみると怪しげなところがいくつも出てくる。 前回の発表は相当あせって準備をしていたので、やはり、付け焼刃に過ぎなかったのだなぁと改めて思う。 終わった当時は結構いい出来だと思ったのだが、準備は時間をかけてしっかりやるべきなんだな。
今回やったのは、GLEの厳密解(と言っても、ある限られた条件下での話)で出てくるMittag-Leffler関数について。 最初に見たときは、やれマニアックな関数が出てきたと思ったのだが、そうでもないらしい。 調べていくと、一般化された双曲線関数だとか分数微分だとか可積分系だとかソリトンだとか…わりと一部では有名みたいだな。 マジで調べていくつもりはないが、多少の手計算と数値計算をして遊んだ。 GLEの数値計算のもとになる行列の計算を少し。こっちもあてが外れてる。論文の解釈を間違っているんだろうか。 なんか、費やした時間の割りに進展がないとあせるなぁ。ずいぶんとこの話題に時間費やしてるんじゃないか。 もっと効率よくやらないと…!ふぅ…。
変な話題だが、人生がほんの一瞬で決まるかどうかを考えてみた。 研究ってのは、日々の積み重ねではあるが、ほんの一瞬のひらめきでアイデアが浮かんだり道筋が決まったりすることがある。 それは過去の蓄積でその一瞬を作り出したとも解釈できるし、本当に一瞬で決まるとも解釈できる。 話が横道にそれるが、人間誰しも一生に一度はノーベル賞級の発見につながる一瞬があるそうだ。 たいていの人はそれを見逃してしまうが、手腕のある研究者と言うのはその一瞬を見逃さないらしい。 研究者としては、その人生一度の一瞬が過ぎてしまったかこれからあるのかもわかるわけないんだから、日々邁進するだけであろう。 (もし上の話が正しいなら)その一瞬が今後あるかどうかは運しだいだ。 この話は研究者としての一生涯は、一瞬できまるということになる(のかな)。 (縁起でもない話だが)自殺志望者の場合、その人の命は一瞬にゆだねられる。 踏み込むか踏み込まざるか、その決断により生死が分かれる。 ただ、その人が自殺にいたるまでの経緯を考えると、多くの場合それは過去の経験によっている。 自殺志望者とは違い交通事故や天災など不慮の事故にして落命した場合、それは一瞬のできごとだ。 一瞬の気緩みやそのときの運によって、その命がゆだねられる。 投資家の場合、時々刻々と株価が変動している中、売り買いの注文を瞬時に決めて取引する。 これも一刻一秒を争う問題である。ただ、この現在の株価が過去の株価にどれだけ依存するかはわからない。 まったく過去の時間に依存しない(Wiener過程)かもしれないし、ある時間内であれば依存してくるのかもしれない。 (現在では、株価の変動はWiener過程と言う見方が有力なのかな?) さて、普通のLangevin方程式は過去の記憶に依存する項は見られない。 揺動項の相関はDelta関数に従い、過去の時間には依らない。つまり、一瞬で決まる。 それを拡張したLangevin方程式(うちらがGLEといっているもの)は、メモリーカーネルを含む記憶項がある。 過去の時間にどれだけ依存しているかを表すのがメモリーカーネルだが、私が考えているのはこれがべきで落ちる。 つまりなかなか過去の記憶が消えず、だらだら残っているというものだ。 実際自分の場合に置き換えてみるとどうだろう。自分の今の行動は過去の自分にどれだけ依っているのだろうか。 それは見方にも依るかもしれない。 何でまさに今俺が日記を書いているのかはよくわからん(?)けど、なんで俺が今水戸で物理を勉強しているのかはだいたい説明がつきそうである。 考えている対象にも依るであろうが、過去の記憶に一様に依っていると考えるよりは、過去の一瞬一瞬によっているような気もする、人間の行動の場合。 昔の記憶で、何気ないことをしっかり覚えていたり、今の自分に大きく影響を与えるようなことも覚えていたりする。 でもなんだか、鮮明に覚えているのは、何気ないことが多い気がする。 得てして何に役立つかもわからないような、そんなしょうもないことを。…。 う〜ん、なんだかよくわからなくなってきたな。よし、寝よ。

9/29難波の・・・
明け方の空はきれいだ。空気も澄んでいて、雰囲気も物静かでよい。水戸はいいとこだ。
近頃めっきり冷え込むようになってきた。ちょっと前までTシャツ一枚でも平気だったのが嘘のようだ。 ここ数日続いている体調不良も、この季節の変わり目ということもあるんだろうなぁ。
今日はナニワ金融道を3巻まで読んだ。なかなかすいすい読めるような内容でもなかったので、あろうことか一日中読んでいた。 昨日の裁判の傍聴といい、俺は何をしに大学院まで来たのだろう。単なる社会勉強で来たんじゃないのに、2日も続けてのーのーと…。 とんでもない弱男やなぁ、俺は。こんなことでは高い学費担いでもらった親に申し訳が立たんわ。
なんか、学会に行ってから気分が落ち込み気味かもな。確かに体調がすぐれんのもあるけど。…。 いや、俺はやる気と根性だけが取り柄の男さ。また、明日からがんばるでー。

9/28裁判所
今日は裁判所の見学に行った。裁判の傍聴自体、大きな案件でなければ容易に見ることが出来る。 特に予約などは必要とせず、ホームページで時間を確認して入廷するだけだ。 今回は私は研究室の友達と午後から入廷し、刑事裁判のみ傍聴した。 業務上過失傷害と無銭飲食に関わる「判決」が一つと、売春に関わる「新案(?審議)」が一つ。 「判決」は、およそ10分間と短い時間だが、裁判官が求刑を言い渡す。 審議は事前に行われいて、その判決を下すと言うだけだが、裁判官の入ってきたときの改まった雰囲気や両手に手錠をかけた被告人が入ってきたときの緊張感は独特だった。 判決が下るときは、何か神聖な思し召しが下るのかとさえ錯覚した。それだけ、私にとっては未知で新鮮な体験だった。 ついで「新案」だが、まず原告(検事)が容疑を説明する。ついで、保証人(容疑者と親しい人物),容疑者が順に証言台に立ち、弁護士が話の流れをつくる。 保証人,容疑者の話が終わると、適宜原告側が質問すると言った形式。それが終わると、検事が求刑する。大まかにこういう流れだ。 一連の話の流れを見て私が思ったことは、地方裁判所では事の真偽を確かめると言うより被告の更正という要素が強いのだと思った。 おそらく地方の裁判所では、被告も原告も罪を認めているケースが多い気がする。 それゆえ、被告人はほとんどの場合犯行人であり、裁判という諸過程を通じて罪について考えさせているのだろう。 実際、そういう場面が随所に見られたし、それは至極妥当なもののように思う。 裁判所は、人を裁く場であり、人を更正させる場であり、人の罪を償う場。 人を人が裁くのは少し変な気がしてたけど、社会の中で一つの大きな役割を担っているのだなぁと実感した。 単に法律という名のもとに、審議が為される場と思っていた(もちろんそういう要素はある)が、そういう人間的温かみも感じることが出来た。 なんだか、全体が生ぬるい文章になった気がするが、たまにはこういうのもいいかな。
今日はヒラからじゅうたんをもらったので、家のインテリアを少し変えた。 じゅうたんだけでもちょっと感じがよくなった気がする。

9/27腹痛い
死ぬぅ。体がヤバイ。
今日のゼミは惨敗。あんまりいいところは無かったが、Zhang-Rice一重項の話はなかなか面白かったなぁ。 いかついHamiltonianをごりごり計算してやるのは、昨日の時点では気が滅入っていたが、割とエッセンスは簡単だったから(!?)なんとか式は追えそうだ。
う〜ん、腹が。
友人のKT氏からメールを頂く。何やらS先生やT先生と議論することになったそうだ。 KT氏とは学部4年のとき日線形非平衡若手の会で知り合い、私と同じ修士一年として頑張っている。 KT氏は先日の学会では見事に(?)発表を乗り切り、その反響の中でS先生やT先生との議論の場を得たそうだ。 学会をもとにこういったアカデミックな交流ができるというのは、とてもいいことだと思う。 俺もこういった形を目指さなければならないだろう。 そのためには…、
まずこのトイレとの往復+ティッシュペーパーの大量の消費状態を何とかせねば。明日は裁判所へ。

9/26物性ゼミ
体調は悪くなるばかり。ついで、明日の物性研ゼミの準備が不十分と来たもんだ。ヤバイっす。
中川先生と物理学会に関してお話をした。具体的な研究発表に関してのお話というよりは、学会でのスタンスの取り方についての話が印象に残った。 相手の発表を聞いていて、そのときに自分のバックグラウンドに照らし合わせて新しい研究テーマが思い浮かんだりするとか、まだ十分な下地がない段階では研究者としての聞き方は難しいのではとか、なんかそういう話。 研究者であれば、内容をぶつけてのトークになるべきかもしれないが、俺はこういう意識とかスタンスがどうこうとか言う話も悪くはないと思う。 まぁ、もっとも今回の発表で内容をガチンコで説明できるほどしっかり理解して、自分の研究にどう役立つかまでクリアに見れたのもないからなんともいえない。 今回の学会で思ったことは、森,Zwanzig,川崎の射影演算子法の一連の仕事がすばらしいなぁということが一番だった。 他にも、熱伝導や力学系、MDなどめぼしい内容もあったが、この辺に関しては無知であったので、視野が広がったというだけに過ぎない。 具体的に自分の研究にどう役立つかなどのビジョンははっきりしていないが、何か関連がありそうなそんな雰囲気を感じたに過ぎない。 そういった意味で、昨日の日記にも書いたように精神修養といった要素が強く残ったそう感じたのだろう。
明日のゼミの準備でZhang-Rice1重項のことを調べた。銅酸化物にキャリアをドープするってやつで、高温超伝導体としては有名な話らしい。 原論文のリファレンスがいろんなところから引かれていた。ただ、原論文は古すぎてnetから獲得できなかった…。残念。 物理的なイメージ、というよりはZhang-Rice1重項のご利益みたいなのは感じ取ることことができたが、式変形がなかなか厳しい。 基本的な持って行き方は非常にわかりやすく理論は明快なのだが、強相関特有の(?)キショイHamiltonianをゴリゴリ計算していくのは大変。 う〜ん、どうしよう。とりあえず、今日は帰るか。

9/25学会
あー、だめだ。風邪ひいた。今日の水戸は、強風が吹き荒れるし、気温が低いし。気候の変化のせいかな風邪ひいたのは。昨日あたりから少し調子が悪かったんだけど、今日は一気にひどくなった。う〜ん、つらいぞぉ。
今日はそれでもなんとか研究室に行って、学会でめぼしをつけてといた論文を検索。少ないキーワードながら、ほとんどの論文を検索した。バリバリ自分の領域のものから、興味が薄いが調べておきたいものまで、内容的にハードなものが多そうだが、機を見て読みたい。 今回の学会はいろいろと収穫があった。といっても、得られたもので主だったものは精神修養という意味合いが強そうだ。もちろん、自分のやっていることの周辺や領域間のつながり、今話題になっていることなど実際に効いてくるようなことも有ったわけではあるのだが。 やはり学会の場(特に飲み会の席など)で自分のやっていることの説明をしっかりできなくてはならない。 研究者同士での議論ということもさることながら、自分の問題意識をどこにおいていて、自分の研究にどう結び付けているのか、どこにその学問的な有用性が見られるかなどは専門内外を問わず言えることであろう。 それぐらいのことはきちんと説明できるようにしたい。なんか通り一遍の説明はできている気はするが、相手の反応と結び付けて考えるとそれはできていない気がする。 それは自分が実際に研究の成果を出さなければ説明できないことなのかもしれないが、何だか個人的には不満だらけだ。 それと、込み入った議論になかなか入っていけないときがある。 話が専門的過ぎて入っていけないということはありうるが、ある程度どの分野の話でも話としてついていけるぐらいにはなっておきたいものだ。まぁ、これは難しいことかもしれないから、軽く意識しておくにとどめるだけにしておこう。 どの領域に関しても相手に無知だと思われるのは一向に構わないことだが、それによって過去や現在の研究室の先生や先輩方に迷惑をかけるのだけはごめんだ。 私は島田研の問題児ではあるが、「島田研卒なのにこんなこともできんのか」と思われるのは嫌だし、「茨大中川研のマスターなのにこんなの知らないの」って思われるのも断固嫌だ。 島田先生からもご教授いただいたことだが、各研究室には各研究室のノウハウというのがある。 研究室の門をたたくということは、そのノウハウを習得するということだ。 ○○研を出ているのに、×××がわからないということは、その研究室の名誉を傷つけるということにもなりうるから気をつけたいところだ。
さて、そんなこんだで今日は何もしてない。論文を検索してちょっと目を通したというぐらい。どうも頭がボーっとして鼻水は出るはおなかが痛いは、ロクな状況じゃない。何とか明日には回復したい。

9/24海外に行くこと
昨日の夜中遅くに水戸に戻ってきました。しばらく水戸を離れて、地元と京都に行ってました。今年の夏は外出が多かったから、こんなに空けるつもりはなかったんだけど、気づいたらこうなっていました。まぁ、仕方がない。とはいえ、こう日記を見返してみると、結構時間あいてたんだなぁ。一週間チョイ空けてたことになるか。なんか夏休みまともに研究が進んでないなぁ(焦)
地元に戻ったのは、友達の送別会とか旧友との再会とかそういうイベントが多かったから。 ついつい戻ってしまった。 本心では研究に没頭したかったんだけど、しばらく会えなくなるんだし、しばらく会ってなかったんだし。 こういう義理は立てるべきだろう。 一人は韓国から日本語を勉強しに来てたやつで、カナダの語学学校以来の友達。 日本に来るってことでこっちはすごくうれしかったんだけど、水戸と小岩じゃ結構はなれてるから軽いノリで会いにいけないんだよね(汗) そりゃ、韓国よりかは近いけど・・・。それでも、まぁちょこちょこ会って、半年ぐらいか?日本にいてずいぶん日本語がうまくなってた。 最初はお互い英語でしか話せなかったんだけど、送別会のときはほとんど日本語でOKだった。 これには驚いたなぁ。まぁ、本人の努力もそうとうあるんだろうなぁ。たいしたもんだ。 もう一人は高校のときの友達で、大学を2年間休学して諸国を放浪していたというなかなかアクティブなやつ。 しばらく音信不通で、久しぶりに連絡が取れたから、お酒を交えて土産話を聞いてきた。 2年間外国を旅してきたっていうのはうらやましい話で、いろいろ得るものはあったんだろうけど、実際どうなのかなぁ。 俺も2ヶ月カナダに行ったとき、もうしばらくはカナダにいたいって思ったんだけど、金銭的な制約と、特に、時間的な制約とで無理だった。 ここで、文系と理系の差は大きいと思う。文系ならそれも許されるであろうが、理系の場合そうもいかないって思ってた。 理系の場合、どうも下積みといったものや腰をすえ勉強する時期って言うのが文系のそれよりも多い気がする。 個人的には文系と理系の境界も曖昧で悩ましいことなんだけど、この違いは(程度の問題かもしれないが)ある。 俺がカナダから日本に戻ってきた一番の理由は、時間の問題で物理をやらねばならぬということだった。 大学生としての義かもしれないが、そう思った。 カナダで勉強すればいいということもあろうが、日本の大学生という立場上、そうは行かないであろう。 浦島太郎は竜宮城から戻らねばならぬ。 竜宮城で遊興に浸る、それはそれで価値があることなのだが、自分が他に全うしなければならぬこと、もしくは、全うしたいことがあるなら、いつまでも竜宮城にいてはならんのだ。 2年間諸国を放浪していた彼の場合、大学生活がつまらなかったそうだ。 おそらく諸国を放浪していたのは自分の全うしたいことを探していたのだろう。それに2年間要したとあらば、仕方のないことだし、それは有意義なことだと思う。 残念ながらお酒の席でそこまでは聞けなかった(これはおそらく私の質問する力がなかったためだろう)が、そんな気がする。 ちなみに、韓国から日本に来た彼は、自分の全うしたいことをするための準備期間として日本やカナダに行ったんだろうと思う。 彼は、韓国でしばらく就職活動の準備で忙しいとは思うが、日本にカナダに行ったこと、それはそれで良いんだと思う。 三者三様という感じですな。学会の話も書こうと思ったけど、長くなりすぎたから、また明日にでも書こうかな。 やっぱ日記としての役割を果たすためには毎日書かないとだめなのかもね。

9/13情報発信
昨日は疲れてしまって、すぐくたばってしまった。その疲れがちょっと残っていたせいか、それとも単なる惰性からか、今日はオフにした。勝手に休みをとれる(作れる)学生の特権みたいな感じで、もう自分の年代で社会に出ている人には少し申し訳ない感じです。そんなわけで、今日はただ漫然と読書していたり、買い物していたり、部屋を掃除していたり、衣類を洗濯していたり、まぁ、そんなことを雑然としていました。
なんかよく思うことなんだけど、生活観がない日記だなぁって思うんだよね。こんな料理思いつきました!とか部屋の装いを変えました!とかごみを捨て忘れた!とか、そういうノリの日記でもいいかなぁ〜って思うんだけど、なんかそういう日記もいまいちかなぁと。やっぱ、社会の中の一個人として何がしかの情報を発信したいって思ってて、それが個人の生活観ってなってしまうと、どうもナンセンスなんじゃないかな。う〜ん、まぁ、それじゃ意味がないって言うのはいいすぎな気もするけど、俺の主義じゃないかな。そんなわけで、もう少し全うな情報発信をしていきたいわけだけど、でもかといって、こんな物理に特化した日記を書こうとしていたわけでもないんだよね。日記を書いていたら、自然とそうなっていたというだけで、それが意外にも自分のためになっていたりしてて。
書く内容を絞るということはした方がいい気がする。でも、それで自分に正直になれなかったら日記じゃないよね。自分から発信できる意味のある情報は何か…、改めて考えてみるとよくわからんな。初めて自分のホームページを作ろうとしたとき、そんなこと考えていた気がする。なんか、うまくまとまらなかった。日記書いていることとは別に、他の事を頭で考えているからだろうなぁ。

9/12なし
疲れた。眠い。

9/11夜中の研究室にて
満天の星空!

9/10選挙
やーばい、発表大丈夫かなぁ。明日は研究室に泊り込みかなぁ…。
今日は、主にテニスをした。茨大メンバーとは久しぶりということもあって、面白かったし、いい汗を流した気がする。Kさんも言っていたが、こういう風に研究をしながら適度に体を動かす娯楽がある環境っていうのはいいもんだ。都会ではテニスをするにもお金がかかる。そういった意味で、この茨大の環境は非常にいいものなのかもしれない。なんか、最近娯楽肯定主義的な発言が多過ぎる気がするなぁ。
今日も好き勝手に発表のまとめをしていたわけだが、気づいてみると発表の本丸と位置づける郵政民営化…ではなく、GLEの数値計算についてのまとめがなかなか進んでいないことに気づく。発表内容の精選や発表の流れ、関本理論の主要部分についてはある程度まとまってきたが、明日のうちにGLEの数値計算についてをしっかりまとめよう。Langevin方程式の導出やメモリーカーネルがべき乗になるという実験の環境等まで手が伸びればと言うところだが、果たして…?それにしても、今回は自分でやったことと言うよりは、レビューの内容が大半を占めている。ここは正直、痛恨だ。レビューもしっかり、またその上で自分のやったことと言うのが研究発表の定石なのだが…。ここは反省すべきだ。ただ、八月遊びまくってた割に、よくここまでまとめることが出来たなぁという自己弁護の念もある。まぁ、この場合反省点だけを残しておく方がよさそうか。
明日は、選挙ですね。皆さん投票に行きましょう。私は期日前投票を済ませているわけですが、そのことを友達に言ったら「えらいね」と言われました。ただ、これは違います。投票に行くの当然であって、別にえらいわけでもなんでもないのです。昔日本では選挙などなく、国民の意見を反映させるような政治形態が出来ていませんでした。時代を経て、日本国民に選挙権が与えられたとき(年号を覚えていませんが)、地方の投票所のないところの人は、泳いで海を渡って投票に行ったという話を聞いたことがあります。それほど政治に参加できるということに価値を感じ、うれしく思っていたのでしょう。現代ではそういう気風は薄れ、ポスターやテレビCMを通して投票を呼びかけてまで、投票率向上を狙っているという有様です。投票に行こうか行くまいか考えている方は、私たち国民が政治に参加できるという意義を考えなおしてみてください。また、私たちの意見が反映されず、行政が一部の特権階級の人に握られるということがどういうことか、考え直してみてください。今日はずいぶん説教くさい話になってしまいました。20代前半の若者の小言でした。

9/9まとめること
ぐっすり眠ったお陰か、風邪もなおり、嘘のような回復。冷房つけたまま寝て風邪を引き、ぐっすり眠ってもとどおり治る。俺の体って、そんなに単純なのかなぁ(笑)
今日も発表の準備。というか、発表の準備と中身の勉強をごちゃ混ぜにやってて、どっちがどっちだかわからない状況がここ数日続いている。今日は今までやった内容を自分なりにまとめるという、やっとまともな発表の準備ができた。とはいえ、まだ発表予定の内容の半分をまとめたに過ぎない。明日明後日で出来る限り内容を拡充し、なんとかボーダーまで届かせないと…!それはともかく、今日のまとめはなかなかうまくいった。知識量は昨日とほとんど変わらないが、論理をすっきり通すことが出来た(気がする)。論文の内容についても先生と議論できて、すこしビジョンをはっきりさせることが出来たし、今後につなげることが出来そうだ。
およそ物理以外にも当てはまることだと思うが、バラバラになっている知識を一つの筋道をたてて秩序立てると言うのは、面白いことであろう。文科系とは異なり、うちらは数式を対象にしてなんとか筋道を通すわけだが、物理は特に数式の意味を考えなければならない。同じもの(同じ量や同じ文字)を表す式でも、表記が変わると意味合いが変わってくる。例えば、x=A,x=Bという2つの式を比較するというだけでも、数学的にはx=A=Bでなんら問題が無いが、物理的には、Aが実験的に出てきた量かとか理論的に出てきた量かということを気にしなければならない。実験的に出てきた量でも、観測の誤差がどのくらい見込まれるのかとか、どの因子が効いてAになるのかとか、オーダーがどうだとかを考えなければならない。理論的に出てきた値でも、果たしてそれが観測できる量なのかそうでないのか、x=Aが現実にはどう表現されるべきかとか等等。またx=Aとx=Bとが結びつくことによって一体何を表すのかといったことを考えねばならない。同じ式や同じデータを見ても人によって解釈が異なり捕らえ方が変わってくる。例えば、ma=FというNewtonの運動方程式を見ても、単に質量mに加速度aをかけると力Fになるんだーと思ったり、力を定義した式だと思ったり、力が働く結果加速度が生じるといった因果関係をそこに見たり、微分方程式(加速度は距離の二階微分)と捕らえたり、さらにそこから種々の物理法則を連想したり、相対論的に修正しなければならんと思ったり、もっと基本的にりんごが落っこちる現象を思い出したり、力がどうして働くんだとか思ったり、とにかく解釈はいろいろだ。それゆえ、論理の構成もある程度の制約はあるにせよ自由にできる。そこが物理の面白さでもあり、難しさでもある。途中で下らんと思って書くのやめたくなったが、中途半端すぎてなんとかオチを作った。
研究室の先輩のKさんにフラクタルの話をふられる。Kさんは(少し前の話だが)俺の卒研の内容を発表した際に、フラクタルに興味をもったらしく、最近になって関心が高まってきたらしい。確かにフラクタルは面白いとは思うのだが、今にフラクタルの勉強をしようというのはどうであろうか…。少し考えさせられてしまった。Kさんも「博物学的に終わってしまうようなフラクタルではなく、…」と言っていたが、う〜ん、ちょっと考えておこう。

9/8風邪引いた
今日は少しダラダラした感じになってしまった。頭がボーっとして、鼻水がジュクジュク出るし、どうもダメだ。間違いなく風邪だ。原因は部屋の空調かもしれない。普段は空調などつけずに眠っているのだが、昨日は空調をつけっぱなしにして寝てしまったのだ。やはり人間、馴れないことはするものではない。
今取り掛かっている論文は主として3つ。一つはGLEのメモリーカーネルがべき乗に従うと言う実験屋さんの論文。単にメモリーカーネルがべき乗になるというだけの論文と認識していたが、島田先生との議論でそうなるための条件も確認しなければならないことに気づき、見返すことにした。(島田先生のご指摘は真っ当なものであり、おそらく中川先生もそこは確認していたであろうと思う。)たんぱく質にレーザーを当て、その応答を見るというものだが、生物実験特有の言葉がたくさん羅列されているので、理解に苦しむ。蛍光物質とか酵素がどうとかたんぱく質のある部分をさす単語だか、辞書にも載ってないようなかなりテクニカルタームの連続で、背景を理解するだけとはいえ、容易くない。なめすぎていたなぁ。二つ目の論文は、GLEの数値計算に関する論文。イスラエルの数学屋さん論文で、まず記述が数学的である。さらに、よくわからない手法が突如として登場する。数値計算の要領だけ分ればいいという気持ちで読むべきかもしれないが、ちょっとでも理解したいという生半可な気持ちが裏目裏目で、なかなか先に進まない。ある程度のところで見切りをつけないと、先に進まないなぁ。面白いとは思うのだが。三つ目の論文は、関本さんのSE(Stochastic Enegetics)に関する論文。前半のアブストだけでもよくまとまっていたので、非常に参考になる。本論も目を通すべきであろうが、まださほど出来ていない。ゆらぎのエネルギー論の本と照応しつつ、概観だけでもしておかなければ…。これらの論文とその周辺をまとめ、今回の発表に備えなければならない。今日からパワポをつくったが、どうも切り口がはっきりしない。内容の精選で結構時間をとられた感がある。明日は、体調もよくなっているであろうし、なんとか形としてまとめなければ…。久しぶりに物理トーク復活で、少し満足(笑)

9/7なんとなく執筆
久しぶりにM1の友達やM2の先輩,中川先生にお会いした。研究室の皆は大学院生らしい夏休みを過ごされたようで、よく研究室に顔を出しては、研究や勉強に励んでいたらしい。何よりだなぁ…。
一ヶ月ぶりということもあってか、少し院生同士でのおしゃべりが多い一日だった。昨日取り組んでいた問題の一応の解答が得られたということもあってか、少し気持ちが緩んでしまったか?いや、久しぶりに会ったのだから、こういう会話も必要な気もするな。まぁこんだけテンパってる状況ではあるが、よしとするか。
昨日の夜から恋愛論に関してを執筆し始めた。執筆と言うと大げさだが、単に思索していることを具体的に書いてまとめたと言うのが正しい言い方だと思う。この日記は思いつくままに文を並べて、今日自分の思ったことを思いつくままに書いているわけだが、こういう一つのことをしっかり考えてまとめるという体裁で書く文章もいいかなと思ったのがそもそもの動機かもしれない。友達に俺の日記をして「自分の興味のないことが永延と書かれている」と評されたのも動機の一つかもしれない(苦笑)。この恋愛論をホームページ上に公開するかどうかは気分次第だが、とりあえず今は趣味のレベルで書いている。なんとなくばかばかしいそんな気はしているのだが。
ってか、俺って本当に発表ヤバイって思ってんのかなぁ。

9/6発表ヤバイ…
あぁ、わからんよ…。こっからここの式変形がわからんよ…。一ヶ月前もここでつまずいていた気がする。う〜ん、わからん…。誰か俺に救いの手を…。わからんなぁ…。それに、別の論文のここ以降がわからんのよねぇ。他にも、この論文のこの部分の言ってる意味がわからんし…。それに、あれもこれも…、う〜ん、わからん…。う〜ん、う〜ん、わからんなぁ。う〜ん、う〜ん…、I just only say わからんだよ。
今日は、来週の月曜に控えたゼミの発表の準備。と言っても、(長期休暇のため…)発表する内容それ自体が無いから、今問題としていることのまとめや復習がメインだった。夏の学校や研究室訪問,島田先生との話し合いでわかってきた、自分の曖昧な点をしっかり押さえなおしておくことが狙い。いつもよく思うことだが、自分の中でわかっているつもりだったことっていうのは、(俺の場合?)非常に多い気がする。その量の多さ、とりとめのなさが、今回の発表の出来を左右するわけだが、今回の場合は…(以下略)。
寺田寅彦の『科学者と芸術家』を読む。普段から芸術と科学について近しいものを感じていた私にとって、表題がとても印象的で読む気になった。それに、昨日の日記の内容もあった。文章自体は非常に短いが、無駄が無く整った文章だ。私が日ごろ思っていることに近いこともあってか、親近感を覚える。ただ、行き着く結論が同じでも、そこに行き着くまでの過程が理路整然としている。さすがだなぁ。科学者でものを書くなら、これぐらいのことを書きたい。難しいけど。それと、寺田寅彦の文章は、時折島田先生の言っていた事を思い出すような、そんな気がする。錯覚かもしれないが。
なんか、いろいろなことを書こうと思ってたんだけど、いざ書き出してみると、書こうと思ってたことと違うことが出てきている気がする。たいていそうなんだけどね…。今日は、こんなもんにしておこう。

9/5余暇
久しぶりに更新しました。今まで夏休みということもあって、日記を書けない日もあった…というのもありますが、実のところ、一時期は書く気が無くなってしまったというのが正直なところです。以前にも書きましたが、4月の水戸に来た日から欠かさず書き綴ってきた日記ですが、これは大変個人としては偉業でした。まさかこんなに続くはずがないと思っていたし、それに書き始めるとこんなに分量を書けるとは思ってもみませんでした。思い返してみると、4月はぎこちない所もありましたが、5,6月は非常に楽しく日記を書いていました。小中学校では文章を書くのが嫌いだった私には、新たな自分の発見とさえ思いました。ただ、7月の後半からは、何故か自分の文章が非常に陳腐なものように思えてきて、書いても更新したくなくなったり、また、書きたくなくなったりしました。いわゆるスランプでした。
スランプ期に入ったときに私がすることは、それを完全に放棄することです。気分転換とでも言うべきか、とにかく、それについては考えなくします。この方法は、宮崎駿監督の魔女の宅急便でも見られます。キキが全く空を飛べなくなって、途方にくれてる場面があります。ご存知の方も多いと思いますが、そのときにキキは、友達の…名前は忘れてしまったが絵描き志望の友達に相談に行きます。そのときその友達は、スランプに陥ったときには、絵を描くを全くやめるといいます。そしてふとした瞬間にまた絵を描きたくなるということを言っています。実際キキの場合も、いくつかの苦境を乗り越えながらも、上の状況と同じような経過をたどります。魔女の宅急便の例はご存知の方も多いので、幾分蛇足なことと思いますが、ここでも見られるように創造的な活動をする(もしくはしようと思っている)ときには、こういうことに当然直面するのではないかと思います。絵描きなどの芸術、何かについての執筆、物理も含めて、その他多くの創造的な活動には、こういうことが付きまとうわけで、そういうスランプの対策法としての余暇というのは非常に大事かと思います。芸術大国とも言われるフランスでは、バカンス制度などがあり、余暇が充実しています。国民性などその他の要素もあるかもしれませんが、その意味で、フランスは芸術大国たらしめるのでしょう。他方、日本では、十分な余暇が少なく、その意味で非常に芸術が発展しにくい国なのではないかと少し懸念してしまいます。我が母校、浦和西高校の卒業生で写真家をやっている先輩の公演を聞いたことがありますが、その方も高校時代から学校の周辺を散策していたようです。哲学者カントの散歩好きなど、そういった例はその他枚挙に暇がありません。
生意気がるつもりはありませんが、私の場合も放置していてしばらくしてくると、不思議なことに無性に日記が書きたくなりました。そのとき改めて、あぁ私は日記を書くことが好きなのだなぁと自覚しました。今後もいきなり放置することもあるかもしれませんが、日々思うことを書き綴っていきたいと思います。ただ、自戒をする意味でも言及しておかなければならないのは、余暇をとればいいのかと言うわけではなく、余暇のとりかたが大事であると言うこと。しっかりやる時期があっての余暇であるし、その余暇が長すぎても短すぎてもダメである。また、その余暇の楽しみ方にもいろいろあるようである。考えていくと、この匙加減も意外に難しい問題だと思う。
さてさて、この夏休み何をやっていたのか、少しまとめたいと思います。単なる行動の記録です。まずは物性若手夏の学校に参加し、そこから18切符やヒッチハイクなどで日本海を目指し、佐渡に渡り、佐渡をやはりヒッチハイクで数日観光。18切符で祖父祖母の家を訪ね、しばらく滞在、そこから家族旅行で北アルプスに登山に。実家に戻り、友達に会ったり、テニスをしたり、しばらく滞在。18切符で名古屋に行き、友達に会い、名大の研究室訪問、万博に遊びに行ったりする。実家に戻り、すぐに水戸に戻る。で、今日水戸に戻ってきました。この一ヶ月間は、遊ぶと言う面ではなかなか充実していたと思う。どの場面をとっても、貴重な体験で、すべてについて日記に書き綴っておきたかったが、ここですべて書き留めていたら大変なことになるので、思い出した折に書くことにしよう。面白かった。
ただ、リアルな話、この一ヶ月遊びすぎた感がある。来月の月曜に控えた、中川ゼミの発表をいかにまとめるべきか…。